祖母のこと

 

 

丁度、書こうと思っていたこととお題がマッチしていたので

今日はお題と併せ、つらつらと、書いてみます。

 

今週のお題おじいちゃん・おばあちゃん

 

 

先日、母方の祖母の、喜寿祝いの会がありました。

祖母の娘である四姉妹と、その旦那や子が集まり(うち、ひとりは海外在住の為、ビデオ通話で参加)、

落ち着いた料理屋にて、しっとりとした素敵な会でした。

 

f:id:kyonkyon1736294:20180915025753j:plain

 - 喜寿のお祝い色である紫のちゃんちゃんこを着た祖母。叔母一同からiPadと、カメラマンである叔母の撮った写真がプレゼント。海外に住む叔母とビデオ通話しているところ。-

 

 

実は、小学三年生から中学二年生が終わるまでの間、

わたしは祖母の家に居候していたのです。

本来は両親がやるべきである子育てを、

しかも、一番多感な思春期の教育を、

わたしはその多くを、祖母から受けたことになるのです。

 

当時、わたしはいわゆるマセガキでしたし、一緒に生活する中ではいたるところに祖母に対する嫌悪感もあり、いつも迷惑ばかりかけていました。

今思うと、本当に幼稚で情けないなあと、思うばかりではありますが、

そう思えるようになったのも、裏を返せば、全て祖母のおかげなのです。

 

祖母の教育は、わたしの「人生の矯正」となりました。

 

うるさい小言もたくさん言う人ですが、芯が強く、そして厳しく、

けれども優しく、豊かな人。

 

母親は公務員の保育士なので、仕事が忙しく、夜も遅くに帰ってくる人なので、

夜ご飯はいつも祖母と食べていました。

母とより、祖母とゆっくり日々を過ごすことが多かったのです。

 

いろんな話をする中で、自然と刷り込まれていったと思うのですが、

小学卒業するあたりから、

「祖母と同じ道を進むんだ、それに、それは当たり前のことだ」

と思っていた節がありました。謎ですね。

 

「同じ道」と言うのは、学校のこと。

と言うのも、わたしが通った小学校・中学校、そのどちらも、祖母の母校なのでした。

そして、高校も、祖母の母校に行くもんだと、本気で思っていました。

 

中学二年生になると、高校受験の話がちらほらと出て来る時期に。

それでも、アホなわたしは、何もせずとも祖母の母校に行けると思っていましたので、特に、塾になど行かず、模擬試験なども受けていませんでした。

 

そんな中、中学二年生の冬に、初めての模試を受けました。

アホなわたしは、もちろん、自慢げに、祖母の母校を志望校として、提出しました。

 

本当にアホなんですよ。

なにせ、志望校の合格率判定が、「E」だったのですから。(最低判定)

その時の衝撃といったらもう…。なにせ、

今まで特に難なく勉強はできていたし、なんなら成績もそれなりに良くて、むしろ、「いわゆるいい子ちゃん」だったのに!!!!!!!なんでーっ

 

自信過剰も甚だしいですね(笑)

 

もうひとつアホな事実、その高校の偏差値やレベルも知らなかったんですねわたし。ド阿呆です。

「県内有数の進学校」「校風も良い県立の女子校」「市内トップ」と謳われる、まさに、憧れであり、地元に愛される、さらにファンまでいる、

そんなぶっ飛んだ、公立高校だったのですから、

偏差値も高く、そして倍率が高いのだって、無理もありません。

今なら、納得できます。

 

 

そして、ここでわたしは、人生初めての難関にぶち当たったのでした。

 

 

模試が返って来た途端に、焦りで塾に通い始めました。

当時、うるさいほどCMが流れていた、某やる◯スイッチの塾。笑

 

しかし、性に合わず、塾を変え、

新しく通い始めた自習型の塾で、必死に勉強しまくりました。

(その塾もかなりぶっ飛んでいるのでいつか書きたいなと思う)

 

 

 

かくかくしかじか(中略)

 

 

受験期にはもう祖母と一緒に住んでいなかったのですが、家が近かったため、

たまにふらっと話に行くこともありました。

祖母は事情により大学には行かず、落ち着いてから通信大学を利用して勉強をずっと続けていて、

いつ会いにいっても机に向かっていたり、本を読んでいるそんなかっこ良すぎる姿を目の当たりにして、受験に対するやる気を、奮起していました。

この歳になっても勉強意欲あるの、超かっこいい!って思っていましたから(単純)

 

 

 

そんなこんなで、そんなこんなで

 

 

 

晴れて、わたしは祖母と同じ高校に通うことになったのです。

涙なしでは語れねえストーリー!、ですよ本当に。泣いちゃう。

 

今まで当たり前だと思っていた「祖母と同じ道」を、また歩めるんだ!と言う嬉しさ、本当に大きかったです。

もちろん祖母も喜んでくれましたし、親戚一同も祝ってくれました。

 

けれども、わたしは決して、「誰かに褒められたい」だとか「誰かの期待に応えなくちゃ」といったことで勉強をしていたわけでは無いのです。

そもそも両親は、勉学に対してものすごく関心が薄く、進路に関しても「好きにしろ」と言うふうな人たちでしたから、

わたしはただ、「わたしの好きなように」やっていただけ。

それが一番心地よかったです。

 

苦労して入学した高校だけあって、高校生活はなかなか大変でしたが、かなり良い人生経験だったと、いまは思います。

 

進学校なのに大学には行かなかったことも、わたしにとってはとても意味のある決断で、この時だって、祖母の豊かな考え方に助けられて(背中を押されて)、

そうやって、今のわたしがあるのです。

 

そして、密かに、これからも追っていきたいのです。

 

 

f:id:kyonkyon1736294:20180915025752j:plain

- 祖母とツーショット -

 

 

 

時々考えます。

「もし、小学生の時に転校せず、祖母とも一緒に生活していなかったら」と。

 

 

今頃わたしは何をしているんでしょうね。

そう考えると本当に、怖くなるし、

今生きていることだって、祖母のおかげです。

 

わたしの祖母は、命の恩人。

 

今日は、そういう話でした。

 

 

 

 

 

そうそう、余談ですが、喜寿のお祝いでの

わたしからのプレゼントは、「手紙」でした。(超大作)

 

https://www.instagram.com/p/Bm5LF0IhZJm/

6枚もありますもっと書きたかった

 

 

実はこの、手紙に添えた写真、

高校の卒業式でもらった校章入りのおまんじゅうを持って、祖母に挨拶をしにいった日のものです。

ものすごくお気に入りで、ふと思い出してプリントアウトし、添えてみました。

 

祖母の感想「ワタシの手ってこんなシワシワなの〜〜!?(嬉しそう)」

 

 

この写真、卒業時、Instagramに載せていました。

この時は割愛していたのですが、この記事でお話しした通りです。

まさか2年後にちゃんと書くことになるとは思いもよらなかっただろうな〜〜

 

https://www.instagram.com/p/BRvikWMhIfO/

.小学三年から六年間、祖母が厳しく育ててくれたのでそれなりに普通の人間っぽい今のわたしがあるよ~って話も長くなるから割愛。小中高、祖母とおなじ道を辿りました🍥完

 

 

 

実は、昨日、母と祖母がわたしの新居に遊びにきて、一緒にご飯作って食べました。

孫にこんなことしてもらえるなんて〜!って喜んでもらえましたが、わたしからもちゃんと、感謝を伝えました。

 

なんてったって、今日は、

敬老の日」ですからね。

 

感謝を伝えられる時まで、しっかり伝えていきたいし、

いつかは、祖母の背中に追いついたと言えるような、かっこいい大人になりたい。

 

 

時間はとっても限られているね。無駄にできないな。

息抜きしながら、しっかり生きよ。

 

 

 

P.S.  祖父とも写真撮りました(^_^)v

 

f:id:kyonkyon1736294:20180915025755j:plain

 

 

 

 

今日もありがとうございました.