二十歳

 

2018年5月18日

二十歳になった。

 

子供のままでは許されず、大人とも言い切れない

そんな曖昧な19歳も終わったようで。

 

18歳の終わり、つまり19歳になった時にも

わたしはつらつらと文字を連ねていた。

自分の気持ちとか、熱量とか、他人の目に見えないものを

言葉というツールで可視化することは、

わたしにとっては、なにかと大切だ。

 

なにかしらの節目には、きちんとけじめをつけていたい。

文章書くのも別に得意ではないし、

きっとぐちゃぐちゃになってしまうだろうけど

今までの自分の為、これからの自分の為

今この瞬間の自分を昇華したい。

 


こういうのは、誰も見なくたっていいし、

誰かがひっそり知っていてくれたらそれでいい。そういう文章

 

さて

 

ひとつ

19歳になった時に並べたことばたちをじっくり読み返してきた。

なにかあるごとに、ふとした瞬間にも。今日まで、何回も何回も。

軽い気持ちで書いた文章が、1年間

こんなにも自分のなかに根付いて支え続けてくれる存在になろうとは

思ってもみなかったのだけれど。

 

そしてもうひとつ、高校生の頃から幾度となく叫んできたことば

「何もできないハタチにはなりたくない!」

 

今、わたし、ハタチ。

どうだろうか、わたしは何かができるハタチになれただろうか。

自分自身に投げかけた問いには、誰かが答えてくれるわけもなく

ああ、自分で認めなきゃいけないんだな、と、気づいた。

 


思春期の少年少女にありがちな、承認欲求

あれって、自分自身を認められてないうえには、なりたたないんだよね。それと同じように。

 


それなら、

わたしは自分自身が認めることのできる、ハタチなのだろうか。

 

まだまだ置き去りにしてしたことも沢山あるけれど

きっと、一年前のわたしは満足してくれてるはず。

わたしの19歳、わたしが認めてあげないとどうする。

 

根拠のない自画自賛をしたいわけではない。そんなの甘えでしかない。自分の決めたことをどれだけやりきれるかの度合い、だよね。なんというか、自分自身が信じられないものを周りから認めてもらおうなんて、浅はかであり、あまりにも安っぽいのだった。

 


それで

19歳のわたしはどうにかして自分を認めたかった。良いも悪いもぜんぶひっくるめて。自分の、今、できることとできないこと、とか、わたしはどういう力を持っていていったいなにが足りないのか、とか。

一度、きちんと確認してみたかったのである。

 


それが、カフェスイミー

 


イデアが浮かんだ時、「やってみたいなあ」と思うことは、誰でもできる。

思うだけなら、言うだけなら、誰でもできる。

誰でもできることのその先を、やりたかったし、誰と比べるわけでもなく(というのも、比べるものがなかった)、自分がやりたいことを自分なりのやり方でやればいいと思った。

わたしの感覚そのものは、わたしだけのもの。やるもやらないも、自分次第。

 


バイト代から少しずつ資金を貯めた。

手伝ってくれる仲間が、集まってくれた。

やります、と告知した。

逃げられなくなった。

学校も掛けもちのバイトも、今思えば、凄まじく忙しかった。

隙間時間で、少しずつ少しずつ、準備した。

毎月スタッフに会って、話していると、自然と自分の中で、整理ができた。

 


半年間。

 


もっと書きたいことはたくさんあるけれど、そのうちどこかで、カフェスイミーのすべてを書きたいから、いろんなことはそちらにて。

ここでは割愛

 


そして

長らく準備してきた集大成として

営業の、十日間。

嘘偽りなんてなく純粋に、本当に幸せでした。

ひとりではできないとわかっていたからこそ、事前にさまざまな分野の知人友人を巻き込んでみたものの、

それ以上に、だ。予想以上の、人間が、

表面下で支えてくれていたんだなと知った。

営業中だってもちろん大変だったけど、

毎日集まってくれるスタッフの笑顔、遊びに来てくれたみんなの笑顔で、

疲れなんてふっとんじゃうんだよね。

 


こうやってずっと、生かされてきたんだと思った。

 


カフェスイミーは、自己承認のため

のはずが、いつのまにか、

他者承認まで得られるものになった。

 


これってわたしがものすごくやりたかったことじゃない?自己承認したものが、他者の承認によって、さらに力強い生命を吹き込まれたかのように、きらきら光っていた。

 


だって、わたし、なんのために飲食の世界に飛び込んだのさ。お客さまの、笑顔と、ありがとうのひとことで、とてつもないシアワセを感じていたからじゃないか。

初心に返った。

そのシアワセを生み出す人間になりたくて、大学受験を辞め、専門学校に進学する決意をしたんじゃないか。

忘れてたなあ 忘れてたよ。

 


だから、

 


今でも変わらず、やっぱり、相手がみえるところで仕事をしたいという気持ちがつよい。向き不向きがあって、どちらがいいという話ではないのだけど、わたしは、人の見えないところでの仕事は、ちょっぴり味気ないなあと思う。どうしても、楽しめなかった。

でも、そうだよねわかるわかるそれでいいんだよ、って言ってくれる人もちゃんといる。

 


わたしはこれからも、またこうやって生かされていくんだろうな。

 


未熟で曖昧な19歳

貴重な経験を得られたことを

わたしは人生の誇りに思っていたい。

 


さあ、わたしもみんなもハタチ。

もう、なにも考えずに自分欲望のままわめきちらしたいなんて、思ってないことくらい、わかってくれる年齢だと思うから、全部言うね。

 


最後にひとつ、わたしにはいわゆる「家庭の事情」がある。

けれども、普通の家庭なんて無い、と、言われて育った。だからわたしはなんの疑いもなく「これがわたしの普通であり世間一般の普通なんだな、そうだよな」と思っていた。馬鹿みたいだけど、本当の話。

だって、小学生のわたしにとって、世界はあまりにも狭かった。

テレビに映る世界なんて現実味はなかったし、

学校や教室、先生友達、そしてさびれたでかい赤い屋根の一軒家と、母親父親、弟、それくらいが、

わたしの世界のすべてだった。

 


そんななかで気づけるはずもないでしょう

 


父親と母親が離婚し、祖母の家に逃げてくるまでの記憶なんて少ししかない。

となりの部屋から聞こえる罵声や痛々しい音をかき消すように、テレビの音量を最大限あげて、弟と静かに画面を眺めることくらいしか

皮肉にも、覚えてないのである。

 


弟の顔さえ、覚えていない。というかわからない。

写真を見て、かわいかったんだなと思うくらい、わたしは弟のことさえ知らないのである。

 


そんな姉は考えた。ずっと考えた。

なんなら今だって考える。

 


世知辛い世の中、家庭の事情なんかいくらでもあるよ、だからって我が家が壊れていい理由なんてなにひとつないだろう。それを他の家と比べて、よく「普通」だなんて言えたものだ。

「うちはうち、よそはよそ」の最大の履き違えを、両親は教えてくれた。

 


だから

 


わたしの普通とは、

祖母と暮らすことであり、父親が家にいないことであり、弟の成長も知らず、母親は夜遅くに帰宅したと思えばなにもせず寝るもので、家で食べる朝ごはんも無く、お弁当も無く、みんなが食卓にそろうような夜ごはんも無く、誰かと一緒に食べるごはんは、それだけでご馳走になるような、

 


きりがないのでこのあたりで。

 


それが普通。

でもこれがわたし。

 


19年間のことすべて自分のなかで処理してきた結果が、まぎれもない、今の

ハタチのわたしだった。

 

 

 

 


ようやく、克服できたのではないか。

 

 

 

 


わたしはいまとても楽しくて、やりたいこともやりきれないくらいに沢山あって、

おこがましいと思われてしまうかもしれないけれど、周りに大切な人も沢山いて、

 


人生、生きてるだけで丸儲け

 


最高なフレーズだね。

今ならそうおもう。

 

 

 

 


ハタチはどうする?

なにをしよう?

 


これから夏が来て、秋が過ぎ、冬を越えればまた春を迎え、

社会人として生きていかなければいけない。

 


あと少しの学生生活。早いなあ。

 


料理が好き、飲食店が好き。

考えて実践することが、やっぱり好き。

しあわせなことに、選択肢が山ほどある。

やりたいことが沢山あるからこそ、

悩めることのしあわせを感じる。

 

 

 

目標

悩んで悩んで悩みまくる

 

 

 

なんだそりゃ。

いいんです。

柔軟性のある女になれたらいい。

ツンケン否定してるばっかりじゃあ、

つまらないからね。

 


そんなところでしょうか。

 


あー毎日少しずつ書いてたら、まとまらないし、長くなっちゃったな。長い文苦手なんだけどな。最後まで読んでくれる人いるのかこれっ、て。きっと、だいぶ物好きさんなんだね。

 


おおっぴらに公開したことないけど、19歳の時に書いた文章も添えておくね。お時間の許す限り、どうぞ


Tumblr 

https://k-kk1232.tumblr.com/post/166500519519/

 


ありがとう、感謝しきれないけど

これからも何卒

よろしくお願いします。

 

小泉京花